東京高等裁判所 昭和53年(ラ)862号 決定 1980年9月26日
静岡県浜名郡舞阪町舞阪一六八三番地
抗告人 大河原順作
<ほか八六名>
右代理人弁護士 秋山幹男
同 西垣道夫
同 廣田尚久
同 更田義彦
静岡県浜松市元城町三八番地の二
相手方 浜松市
右代表者市長 平山博三
右代理人弁護士 白石信明
同 堀家嘉郎
同 松崎勝
右抗告人ら申請の静岡地方裁判所浜松支部昭和五二年(ヨ)第一六九号工事禁止仮処分申請事件につき、同裁判所が昭和五三年八月三日付でなした申請却下の決定に対し、抗告人らから抗告があったので当裁判所は次のとおり決定する。
主文
本件抗告を棄却する。
当審で追加された排水放流禁止の仮処分申請を却下する。
抗告費用は抗告人らの負担とする。
事実
抗告人ら代理人は、「原決定を取り消す。相手方は、原決定別紙土地目録記載の土地上に同西遠広域都市計画汚物処理場図面(一)ないし(三)に表示されたし尿処理場を建設してはならない。(当審追加請求)相手方は、右処理場の排水を、普通河川安曽谷川、二級河川伊左地川を経て浜名湖圧内湾に放流してはならない。申請費用は第一、二審とも相手方の負担とする。」との裁判を求め、相手方代理人は、主文同旨の裁判を求めた。
抗告人ら代理人及び相手方代理人双方の各主張の要旨は左記に付加するほかは原決定の「第二 当事者の主張欄」記載のとおりであるからこれを引用する(ただし、同決定一一枚目裏の六行目から八行目までの全部を削除する。)。
(主張)
被告人ら
一(一) 海域、湖沼、河川等の公共用水域の水質の汚濁についての環境基準は、公害対策基本法(以下「基本法」という)九条一項により、環境庁告示昭和四六年第五九号(同四五年四月二一日制定、同四六年四月二八日告示)をもって人の健康の保護に関する項目と生活環境の保全に関する項目とにわけて設定されている。前者は全国一率の基準であるが、後者は基本法九条二項によって公共用水域類型別に定められており、静岡県告示昭和四七年第五一〇号(同年六月二三日告示)をもって右類型として、浜名湖(本件庄内湾(奥庄内湖あるいは庄内湖とも呼ばれるが、以下「庄内湾」と呼称する。)等の水域を除く)は海域A(利用目的の適応性として水産関係では一級)に、庄内湾は海域B(右同水産二級)にそれぞれ指定されている。
(二) 相手方は地方公共団体として基本法等によりその行政区域内にある浜名湖、庄内湾等について右環境基準を保持する義務がある。
二(一) 沿岸漁業等振興法(以下「振興法」ということもある。)は沿岸漁業の振興を図るため、国及び地方公共団体に対し、「水産資源の適正な利用、水産動植物の増殖、漁場の効用の低下及び喪失の防止等によって、水産資源の維持増大を図ること」に関し必要な施策を総合的に講じるべき義務を課している(同法三条一項一号、四条)。また水産資源の保護培養を目的として水産資源保護法が制定されているが、同法はその目的を実現するために、農林水産大臣又は都道府県知事に対し、水産動植物に有害な水質汚濁に関する制限又は禁止事項について法規の制定権すら与えている(同法四条一項四号)。そしてまた同法は、「水産動物が産卵し、稚魚が生育し、又は水産動植物の種苗が発生するのに適した水面であってその保護培養のために必要な措置を講ずべき水面」を保護水面として農林水産大臣によってその指定を受けた水域を特に保護する制度を設けているが(同法第二章第二節)、浜名湖は二か所にわたってその指定を受けており、水産資源保護上重要な水域である。以上の法令に前記基本法等の精神を加味すれば、地方公共団体たる相手方には浜名湖の水産資源を積極的に保護すべき法令上の義務があるというべきである。
ところでわが国においては右の水産動植物の保護生育という観点から社団法人日本水産資源保護協会が定めた「水産環境水質基準」があるが、右基準は、東京大学、東京水産大学等の水産学の教授、水産庁の各地水産試験場等の水産学の専門家が多数参加した専門委員会で研究のうえ決定されたものであってもっとも権威のある基準である(なお右基準は正常な自然水域の水質条件の最低の限度を示したものである。)。従って右基準は法令によって定められた基準に準ずるべく、水産資源の保護の義務を負う相手方は浜名湖を右基準に保持させる法令上の義務がある。
(二) 右基準は、CODの基準値として一ppm、赤潮発生の原因となる無機窒素、無機燐についての限界値としてそれぞれ〇・〇九八ppm、〇・〇一四ppmが定められている。
三 ところで昭和五一年度、五二年度における浜名湖の水質汚濁の状況は静岡県知事が同五三年八月三一日付同県公報で同県告示第八三四号として公表されたとおりであるが、右告示によれば右汚濁の状況はいずれの項目においても前記環境基準及び水産環境水質基準を上回って悪化している。そして本件し尿処理施設が放流を予定している排水はかなりの汚濁物質を含み、右放流によって浜名湖の水質汚濁はより悪化することは明らかであるから、前記各基準の保全義務を負う相手方がこれに違反するような行為が許されないことは明らかである。従って右施設の建設及び排水の放流は当然差止められるべきである。
四(一) 前記のとおり、振興法は、沿岸漁業等の生産性の向上等を図り、あわせてこれに従事する者の地位の向上を目的として制定されているが、その目的を達成するために、同法は国及び地方公共団体に対し、水産資源の適正な利用、水産動植物の増殖、漁場の効用の低下及び喪失の防止等によって、水産資源の維持増大を図ることなどについて必要な施策を総合的に講じなければならないことを義務づけるとともに、これに併せて、その六条は、「国又は地方公共団体は、(右の)施策を講ずるにあたっては沿岸漁業等の従事者又は沿岸漁業等に関する団体がする自主的な努力を助長することを旨とするものとする。」と規定し、右従事者又はその団体に対しその自主的な努力を、国又は地方公共団体に対し右の従事者等の努力の助長をそれぞれ義務づけている。
そこで、右法条にいう沿岸漁業従事者等の自主的な努力として、浜名漁協は、浜名湖岸域に排水する各事業主との間で、浜名湖の漁業環境を保全するために排水の水質、基準協定を締結している。
従って地方公共団体として相手方は振興法により組合の右努力を助長すること、ひいては右協定に定める排水水質基準を順守すべき義務がある。右協定は基準として、PH六・〇~八・五、透視度三〇センチメートル以上、SS三ppm以下、BOD五ppm以下、COD三ppm以下、アンモニア性窒素一ppm以下、遊離塩素〇・〇二ppmであるところ、相手方が本件し尿処理場から放流せんとする排水の水質は右基準に違反するものであるから、右処理場の建設及びその排水の放流は振興法六条によって当然差止められるべきである。
五 相手方は、閉鎖的内湾たる浜名湖の水質に回復しがたい汚濁をもたらす本件し尿処理場の建設と排水放流の方法をとらなくとも、し尿の処理として次のような方法をとることが考えられ、また十分その実現が可能である。
(一) 自然の生態系の調和を破壊しないために、まず河川や海域に処理排水を直接放流すべきではない。処理排水を農業用水として農林地に還元し、水質源を確保するとともに排水が農林地を循環する間に自然の浄化力によって浄化する方法が西欧、米国でとられているし、我国でも具体的に検討されている。またし尿を肥料に変えるなどして排水を一切出さないクローズドシステムによることも検討すべきであり、現に我国においても乾式し尿浄化システム(コンポスト・トイレ)が開発実用化され販売されている。各家庭のし尿槽内でも処理できるし、また本件処理場において右システムを利用したプラントを建設する方法もありうる。
(二) 仮にし尿処理によって処理排水の水域への放流が避けられないものとすれば、相手方は黒潮が流れ波の高い遠州灘という外洋に直接面しているのであるから、いわゆる沖合放流方式を採用すべきである。この方式は現に米国カリフォルニア州ロスアンゼルス市、サンジエゴ市などで採用され長年実施されている。
相手方
抗告人らの右各主張は争う。
理由
一 当事者
本件相手方の地位、本件処理場の建設計画、抗告人らの地位、その有する権利についての当裁判所の認定は原決定の認定したところと同一であるから原決定理由(第三の一)を引用する。
二 本件紛争に至る経過等
相手方の本件処理場の建設計画から抗告人らの本件仮処分申請に至る経過等についての当裁判所の認定判断は、左記に付加訂正するほかは、原決定の理由と同一であるから原決定理由(第三の二)を引用する。
(一) 《証拠関係省略》
(二) 原決定二八枚目裏末行から三一枚目表四行目の「右説示のように」までの全文を次のとおり改める。
「静岡県では公害防止行政の一環として、多量の汚水を排出する工場等を新設しようとする者はその事業計画について知事との事前協議を義務づけているが(同県公害防止条例二五条)、相手方は本件処理場建設についてその協議を経由し、昭和五二年一一月一四日付で知事の了承を得ており、また都市計画法は、市町村は知事の承認を受けて都市計画を決定するものとし、知事がその承認をするときは、事前に都市計画地方審議会の議を経なければならないと定めているが(同法一九条)、相手方は西遠都市計画の一環としての本件処理場建設について、昭和五二年一二月一五日開催の同県都市計画地方審議会の議決に基づく同月二〇日付の静岡県知事の承認を得た。
抗告人らは右審議会に対し否決を要望したが、これが容れられなかったので、翌一六日本件仮処分申請に及んだものである。
以上の事実によれば、本件処理場の建設に当っては、その処理排水の放流により影響を蒙ることのあり得る抗告人ら漁民に対し、直接その説明、協力要請をなすことが、より望ましいものではあるが、相手方が、抗告人らを組合員として構成する浜名漁協を通じて右の説明、協力要請をなすという方法をとったことも、斯かる場合の措置として十分とまではいえないにしても、格別非難すべきいわれはない。
もっとも《証拠省略》によれば、相手方が環境測定業者に委託して行なった浜名湖の環境調査は、その範囲が庄内湾に限られ、しかもその調査期間が昭和五二年五月五日から一九日までの二週間にすぎず、より正しい調査をするためには調査海域を舞阪まで拡大し、期間も一年間(四季)継続して行うことが必要であることが認められ、」
三 本件処理場建設の必要性
(一) 《証拠省略》によれば一応次の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》
現在浜松市におけるし尿の処理は、(ア)公共下水処理区(中部処理区)においては公共下水道を経由して終末処理場に集積して浄化(この場合はし尿のほかその他の家庭廃水事業廃水等、公共下水管に流水するすべての廃水から発生する下水汚泥を一括して処理するもので、単にし尿汚泥のみを処理するものでないことはいうまでもない。)、(イ)各家庭からいわゆる生し尿を汲取り処理施設に搬入して処理、(ウ)各家庭または集団(団地)毎に設置された浄化槽での処理。此の場合浄化槽汚泥は更に処理施設に運搬投入して処理。(エ)肥料等にするなどの自家処理の各方法がなされているが、右(ア)の終末処理は同市瓜内町にある中部浄化センター(馬込川に放流)でなされ、(イ)の生し尿及び(ウ)の浄化槽汚泥の処理は右センター及び同市豊町にある東部衛生工場(天竜川に放流)でなされている。相手方の現有するし尿、し尿を含む汚泥の処理施設は右二か所のみである(右事実は当事者間に争いがない)。
東部衛生工場は汲取し尿(前記生し尿及び浄化槽汚泥の両者を含む。以下同じ)の処理を目的として昭和四五年一二月に建設され、それ以来稼働を続けている。同工場のし尿処理能力は一日当り二〇〇klと見込まれて建設されたが、施設の老朽化などのためその処理能力はこれを下回っている。中部浄化センターは昭和三六年に相手方の旧市街地の公共下水道の終末処理場として建設に着工し、同三七年八月に処理施設の一部(後記第一系列の部分)が竣工したが下水道管渠が未完成であったため(同四一年一〇月右管渠が完成され、公共下水道による下水処理が開始された。)、これを利用してし尿処理が行なわれ、右下水処理が開始された後も、し尿処理と下水汚泥の処理構造が同一のため右施設は共用に使われている。その処理能力は下水汚泥の場合は一日計八四九kl(八四九m3。なお右処理場の工程における一次処理としての浄化作用が行なわれる第一及び第二消化槽が三組設置され(計六槽)ているが、右三組を完工時期の順にそれぞれ第一系列、第二系列、第三系列と呼ぶことがある。その各系列毎にみた場合その処理能力はそれぞれ二八三klである。)、し尿の場合は一日計六〇〇kl(前同各二〇〇kl)である。結局相手方の現有するし尿等の処理能力は一日あたりし尿に換算して最高限度八〇〇klの域を出るものでない。
しかるに、現在相手方の区域内から出る要処理し尿及び下水汚泥の総量は右処理能力をこえており(たとえば、昭和五二年度実績についてみれば、休日を除く一日平均にして汲取し尿六〇八kl、下水汚泥約四一一kl(し尿に換算すれば約二九〇kl)で、東部衛生工場では一日平均約一八〇kl前後処理されているから、限度をこえる相当量のし尿が中部浄化センターで過剰投入されていることが明らかである。)、そして、相手方としては公共下水道処理の区域の拡大を行なっており、昭和五八年度までには中部浄化センターを全面的に下水汚泥の処理施設に切替えることが予定されており、しかも前記第一系列の設備が建設、稼働開始以来すでに一七年余も経過し改修を加えながら使用しているがその老朽化が著しく、右のごとく全面的な下水道終末処理場としての使用に切替えるためには改造することが必要で、この点からみても右センターにおけるし尿処理は不可能となり、また東部衛生工場も前記のとおり建設、操業以来相当長年月を経過し、部分的改修を施工しながら使用しているが老朽化が進み、全面的な改造が必要な状態である。
もっとも公共下水道処理区域の拡大によりその拡大地域に応じて当然生し尿等が減少することはいうまでもないが、未だ下水道の敷設されていない地域の割合が相当広大で、しかもその区域における住宅団地等の増加現象に照らしても、右減少によって汲取し尿等の処理が東部衛生工場のみで可能となるものでないこと明らかである。
以上の認定事実に浜松市における人口増加の将来予想に鑑みれば、住民の環境衛生について責任を負う、相手方においては、生し尿等の処理のために、早急に本件処理場程度の規模内容のし尿処理工場を建設することは必要であるといわざるをえない。
抗告人らは現有処理施設に余力があって、本件処理場の新設の必要はないと主張するが、採用できない。また抗告人ら主張のように現在公共下水道に流入している工場排水を自家処理させることを相手方に求めることはできない。
(二) 抗告人らは、相手方住民のし尿を処理するには、本件のごとく浜名湖に処理汚水を排出する方法ではなく、農業用水として相手方の農用地を循環させることによる自然浄化あるいは処理汚水を一切他に流出させないで肥料化する方法が可能である旨主張するが、一般論としてはともかく、五〇万に近い人口を擁する浜松市においては、とうてい現実的な処理方法であるとは考えられない。
また抗告人らは、相手方は外洋たる遠州灘に面しているから、いわゆる沖合放流方式を採用すべきであると主張し、《証拠省略》によると、太平洋に面したアメリカ西部の都市のうちには右方式を採用しているものがあること、我が国においても、右方式が可能であり、かつ適当である旨の専門家の意見がないではないことが一応認められるが、将来はともかく現時点において、相手方が右方式を採用することが経済的にみて可能でありかつ妥当であること、自然的な諸条件に適合していること、あるいは、そのための遠州灘に面した地域に適当な用地の取得が可能であったことを認めるに足る疎明はないから、右主張も採用できない。
四 本件処理場の建設場所
(一) 《証拠省略》によれば一応次の事実が認められ、右認定を覆すに足る疎明資料はない。
(1) 東部衛生工場はその敷地一面に施設が建造されており、中部浄化センターの敷地もすでに建設済又は建設予定の建物で全部使用されていて、共に新しい施設増設の余地はない。
(2) 本件処理場の建設場所(以下「本件予定地」という)は、静岡県が施行しようとしている西遠流域下水道計画の範囲外として将来的にもし尿収集の必要がある区域のほぼ中心に位置し、かつ伊左地川に近く処理排水の放流に便利な所である。また付近には人家の密集している区域もない。
そこで相手方は、浜松市の東部及び南部にはすでに処理施設が存在することをも考慮して、本件予定地に新しくし尿処理場を建設し、浜松市を東西に二分してその西部のし尿処理を担わせることにした。
(二) 右の(1)の事実によれば新しくし尿処理場建設場所を捜す必要があること明らかである。そして本件処理場のごとき施設の建設は一般に付近住民からは嫌悪され、従ってその敷地の入手は極めて困難であることに鑑み、右(2)の事実及び前認定のごとくすでに付近住民の建設同意を得て本件予定地を入手している事情によれば、右土地以外に入手しうる適地があるとの主張疎明のないかぎりは相手方の本件予定地の選択が不当ということはできない。
五 本件処理場の放流水中に含まれる汚濁物質の濃度、総量(負荷量)及び相手方の保証数値遵守能力
(一) 《証拠省略》を総合すると、以下の事実が一応認められる。
(1) 相手方は前記のように久保田鉄工との間に昭和五二年一月二〇日本件処理場建設工事請負契約を締結し、その設計によればいわゆる三次処理工程を採用し、脱窒工程は長時間曝気方式のものであったが、その後久保田鉄工の研究成果を取り入れた設計変更契約を昭和五二年一二月に締結したのであって、これによれば工業用水の希釈倍率を一六倍とし、処理工程においても、原設計の第一曝気槽を混合分解槽とし、硝化混合液を循環させると共に、脱窒槽、曝気槽及び砂ろ過装置を設置する等の改良を加えて、放流水の水質を改善し、同水中の汚濁物質の濃度及び負荷量を大幅に減少させるというものである。右の請負契約の内容として久保田鉄工は相手方に対し、本件処理場からの排水の汚濁度等について保証しているが、そこに示されている保証値の主なる内容は、し尿処理能力一日当り四〇〇kl(内生し尿八〇%、抜取り汚泥二〇%)、放流水量一日当り六、三六四kl、放流水に含まれる汚濁物質(因子)の濃度及び一日当りの負荷量は、BOD―五ppm以下、三一・八二キログラム以下、COD―一〇ppm以下、六三・六四キログラム以下、SS―五ppm以下、三一・八二キログラム以下、T―N―一〇ppm以下、六三・六四キログラム以下、NH4N―三ppm以下、一九・〇九キログラム以下、PO4―一ppm以下、六・三六キログラム以下(PO4中のP量は大略三分の一である。)、また、水質についての保証数値は、PHは六・五~八・五、色度は三五度以下、大腸菌群は三〇〇〇個/cm3以下であって、相手方主張のように法令上定められた伊左地川(浜名湖水域)への排水基準値を規制項目であるBOD、SS、PH、大腸菌群数について下回っている。
(2) 相手方は放流水の監視体制として、放流水の水温、流量、PHは自動測定装置により常時監視し、その他の主要項目(BOD、COD、SS、T―N、NH4―N、PO4、色度、塩素イオン等)は週二回以上測定監視する体制をとることとし、これらの測定記録は施設に備付の上関係者の要請に応じ提示する意向である。また本件施設には異常事態の発生にそなえ、約三日分のし尿が保管可能の調整装置が設置してある。
(3) 久保田鉄工は本件処理施設の排水中の汚濁物質の濃度等について前記のように保証しているが、本件施設は我国のし尿処理施設では最新の処理工程を有するものであり、その機構は理論的にも妥当なものであって、久保田鉄工が総社市浄化園及び岡崎市衛生センター内において昭和五一年五月から五二年一二月迄の間に本件施設と同一のフローシートに基づく一日当り一五〇―二〇〇l処理規模のパイロットプラントによる処理実験を行ったその実験結果、本件施設と同一フローシートによる久保田鉄工建設の近江八幡市第一衛生プラントが昭和五四年四月から稼働しているその実績等からみて、本件施設は適切な維持管理、運転が行われれば、十分、久保田鉄工の右保証数値以下の水質を確保することができるものといえる。そして相手方は前記(2)のような検査体制を取る予定であって、右の維持管理、運転についてその体制を整備、充実することが期待できる。
(二) 抗告人らは、本件施設の機能を疑い、これに副う如き専門家の意見書等の疎明資料を提出しているが、直ちには採用し難い。また久保田鉄工が以前に設計製造したし尿処理施設に関する甲第二一号証、本件疎明に顕われた細江し尿工場、浜名湖競艇場処理施設の例及び松江市川向処理工場の例並びに栗田水処理管理株式会社の不始末の事実等も、前記一(3)の認定判断を左右するに足らない。
六 本件処理場の放流水がカキ養殖漁業に及ぼす影響
右五で説示したように本件処理場からの放流水中に含まれる各汚濁物質の濃度及び負荷量は一応久保田鉄工の保証数値以下になるものと認められるので、次に右放流水が庄内湾に流入した場合に抗告人らのカキ養殖漁業にいかなる影響を及ぼすかを検討する。
(一) 庄内湾の地形、海象的特徴
《証拠省略》によれば一応次の事実が認められる。
庄内湾は汽水湖である浜名湖の東部に位置し、東北―西南方向に細長く伸びた幅一・五キロメートル、長さ六キロメートルの入江で、水容積一五八〇万トン、平均水深約二メートルの極めて浅い湾である。本件処理場の放流水が流入する伊左地川の河口は同湾に三分の二程入り込んだ東岸に位置している。同湾に流入している他の主な河川としては深奥部に花川が、西岸の庄和町先に協和排水路がある。これらの河川の水質が湾内の水質に大きな影響を及ぼしている。庄内湾はそれ自体半閉鎖型であるため、概して、特に湖奥部の湖水の循環は悪く、湾内の水が庄内湾外に出るのに、前記環境工学コンサルタントの調査結果によれば最奥部の湖水は二年、伊左地川河口の湖水は三ヶ月かかると計算されている。従って湖奥部は湖口部に比べ塩分濃度が低く、水温も季節の影響を受けて容易に変化し、特に夏期には水温の差による成層ができて四メートル以深では無酸素状態となり硫化水素が発生する。この成層は、九月中旬頃上層と下層が入れ換わり、その際苦潮現象を呈することがある。また春、秋には植物プランクトンが大増殖し、いわゆる赤潮がほとんど毎年のように発生している。この赤潮は水の循環が悪く、窒素、燐等の栄養塩類が豊富に存在し、かつ日照量の多い日が続いて水温が高まる等の条件が重なった場合に発生する。
(二) 庄内湾の水質及び本件処理場の放流水の流入による環境変化予測
《証拠省略》によれば一応次のように認められる。
(1) 基本法九条一項に基づく環境基準は環境庁昭和四六年一二月二八日付告示によって、人の健康にかかる項目と生活環境の保全にかかる項目に分けて定められたが、後者については水域類型別に定められ、これにあてはめるべき各公共用水域の類型の指定は各県知事に委任されているところ(同法九条二項)、静岡県知事は同四七年六月二七日付告示をもって同県区域内の各公共用水域についてあてはめるべき水域類型を指定した。右告示によれば、庄内湾のうち白洲以奥は海域B類型それ以外は海域A類型とされ、具体的にはB類型はPH七・八―八・三、COD三ppm、以下、DO濃度五ppm以上、n―ヘキサン抽出物質検出されないこと、A類型はPH七・八―八・三、COD二ppm以下、DO濃度七・五ppm以上、大腸菌群数一〇〇MPN/一〇〇ml以下、n―ヘキサン抽出物質検出されないことと規定され、また伊左地川は河川Bに指定され、その類型の生活環境保全にかかる基準はPH六・五―八・五、BCD三ppm以下、DO五ppm以上、大腸菌群数五〇〇〇HPN/一〇〇ml以下、SS二五ppm以下と規定されている。
(2) 前記環境工学コンサルタントが昭和五二年五月五日及び同月一二日に行った庄内湾のPH、DO、COD、T―N濃度、PO4―P濃度の実測結果は原決定六〇枚目表三行目から六一枚目表九行目迄の記載のとおりである。
(3) 庄内湾の白洲先(海域B指定)及び雄踏先(海域A指定)の昭和四三、四四年度及び四七ないし五一年度迄のCOD、N濃度、P濃度、NH4―N濃度、NO2―N濃度NO3―N濃度は原決定添付別紙白洲、雄踏の水質測定結果集計表記載のとおりである。右のうち四三、四四年度分は全国漁場環境保全基礎調査報告書、その他の年度分は浜松市の調査結果に基づくものである。
(4) 水質汚濁防止法一七条によって静岡県知事が昭和五三年八月三一日付でなした告示によれば、昭和五二年度(調査期間昭和五二年四月~同五三年三月)の浜名湖水域(測定点は雄踏、白洲地先等四ヶ所)における汚濁の状況は別表1のとおりである。また、同県生活環境部が昭和五四年三月に作成した「浜名湖環境基本情報書」によれば、測定点の浜名湖湖心、雄踏、白洲における昭和四六年から同五二年までの水質汚濁状況の変遷は別表2、3記載のとおりである。
(5) 右(2)ないし(4)の事実、その他前掲疎明資料に顕われているところによれば、庄内湾の水質は汚濁度増加の傾向にあることは否定できず、昭和五一年、五二年度のPHの如く測定回数中基準値を超えた回数の多い例もあるが、それでもなお、概ねPH、DO、CODの前記環境基準値を満たしているものと見られ、全体的に見て環境基準値不適合の状態に至っているとまではいえない。しかし、T―N、NH4―N濃度は一〇年前に比較して確実に大きく上昇しており、PO4―P濃度も昭和五一年、五二年度は大きな増加を示している。日本水産資源保護協会編の「水産環境水質基準」によれば、暖流系の内湾、内海域では連続長期にわたる赤潮の発生を避けるためには、無機Nが〇・一ppm、無機Pが〇・〇一五ppm以下であることを要するとされている。植物プランクトンの増殖にはC、N、Pがそれぞれ一〇六対一六対一の割合で使用されるものであるところ、白洲先の表層におけるN、Pの割合は昭和五一年は三四対一であったことからも窺われるように、これまではPの量が少いことが赤潮の長期連続発生の歯どめになって来たといえる。
(6) 庄内湾に流入している主要河川の一日当りの水量、これらの河川等により庄内湾に運び込まれる汚濁物質の量及び濃度について前記環境工学コンサルタントが昭和五二年五月に調査した結果は原決定五八枚目裏五行目から五九枚目八行目迄の記載のとおりであり、また同社が右調査当時における庄内湾の海水の流況、水質及び流入汚濁物質負荷量等から科学的に分析した本件処理場の放流水流入による環境変化予測の結果は、原決定六九枚目表六行目から七〇枚目裏四行目迄の記載のとおりである。それによれば、右河川等から相当量の汚濁物質が庄内湾に流入しているのであって、これに対する本件処理場放流水に含まれる汚濁負荷量の比は、CODにおいて約一一・三%、T―Nにおいて約一三・六%、T―Pにおいて約二・八%ということになる。このような本件放流水中に含まれる総量及び他の排水に対する割合を、庄内湾の前記栄養塩類濃度の現況に照らして考えると、本件処理場より排出されるT―N、T―Pによって、水域に植物プランクトンの増殖が促進され、赤潮の発生によって漁業被害が生起する可能性、大量発生した植物プランクトン死骸の湖底への沈降による底質悪化の可能性如何については、その影響は少いものといえよう。また各河川等の流入総水量約一一万トンから考えると、本件処理場の放流水が庄内湾の塩分濃度低下に与える影響は少いものといえる。環境工学コンサルタントの前記将来予測はこれらを裏付けるものといえる。
庄内湾の水質汚濁をもたらしている原因の主なるものは庄内湖水系(花川水系、伊左地川水系その他の沿岸水系)及び新川水系から流入する団地等の新興住宅地(その主なるものとしては湖東団地、瞳ヶ丘団地、西山団地、みどりが丘団地などがあり、その一部は昭和四〇年はじめに完成入居しているが、その多くは同四七年以降に完成入居。)などからの生活廃水(し尿浄化槽の処理排水及び台所・風呂等の雑排水)、工場・事務所等の排水・家畜排水(その主なるものに吉野養豚団地がある。)、自然排水等であるが、とりわけし尿汚泥の抜取りが適切に実施されない団地等の集中浄化槽から汚濁度の高い汚水の流入によるものが無視できないところ、本件処理場の設置によって生し尿のみならず浄化槽汚泥の処理が迅速適切に処理されることになれば、汚泥の抜取りも適切に実施され、ひいては右浄化槽からの汚水の流入の軽減が見込まれるし、また相手方においては庄内湾の環境保全計画の一環として湖東団地の下水道整備、瞳ヶ丘団地の下水道終末処理場施設の高度(三次)処理化、吉野養豚団地の排水の三次処理化の工事を昭和五六年完成を目途に実施することにしており、従ってこれらの施設の整備によってもかなりの水質の改善が見込まれている。
(7) 本件疎明資料のうち以上の認定に副わぬものは採用しない。
(三) 抗告人らは、相手方は地方公共団体として浜名湖(及びその水系全体以下同じ。)の水質を、基本法にもとづく環境庁設定の環境基準や沿岸漁業等振興法に基礎をおく社団法人日本水産資源保護協会設定の水産環境水質基準に適合するよう保全する義務があるところ、浜名湖はその場所、基準項目によってはその限界値をすでに超え、あるいは本件処理場からの排水によって負荷される汚濁物質によって右基準限界を超えるおそれが十分にあるから、法令上当然に本件処理場の建設及び排水は差止められるべきであるし、また予定される右排水の水質は沿岸漁業等振興法に基礎をおいて浜名漁協が浜名湖に排水する各事業主と協定により設定した排水基準の限界を超えるものであるから、本件排水ひいては本件処理場の建設は右同様差止められるべきであると主張する。
しかしながら、基本法にもとづき設定された環境基準は公共用水域の汚濁等の環境上の条件について人の健康を保護し、生活環境を保全することが望ましいとして設定されたものであり(同法九条)、その性格は行政における指針というべきものであるから、たとえその現状において抗告人らの主張するとおりの基準不適合状態にあるとしても、そのことから直ちに義務違反として排水が禁止されるものということはできない。
そしてまた抗告人らの主張する水産環境水質基準は、水産資源の保護・育成という見地から設けられたものであるが、湖沼の利用については周辺都市における公衆衛生の向上という行政目的からする要請を軽視することは許されず、更に漁協協定基準についても相手方は右協定につき第三者の立場に立つにすぎないから、いずれも相手方に対し法的拘束力を有する基準であると解することはできず、抗告人らの主張は採用できない。
(四) 本件処理場の放流水のカキ養殖事業に及ぼす影響
庄内湾におけるここ約一〇年間にわたる水質の変化及びその現状については前記六の(二)でみたとおりであるが、これによれば水質の汚濁の進行は汚濁因子によっては必ずしも一様でないが、全般的にみるかぎりは汚濁度増加の傾向にあることは否定できない。特にその河口部、湖奥部においては赤潮発生の要因とみられる富栄養化汚濁物質たる窒素化合物、燐化合物の濃度の増大は顕著であり、水産資源保護の観点においても望ましい事態でないことはいうまでもない。
しかし、《証拠省略》によると、浜名湖全体におけるカキ(むき身)の総生産量及び単位面積当りの生産量は、昭和四三年度は一九三トン、同四四年度は三六二トンで、以下これをピークに減少傾向を示し、同四五年度は二六〇トン(一、〇〇〇m2当り一八一kg)、同四六年度二八八トン(同二〇〇kg)、同四七年度一七九トン(同一二五kg)、同四八年度一二三トン(同八六kg)であったがその後復調し、同四九年度二一二トン(同一四八kg)、同五〇年度は二五四トン(同一八五kg)にまで回復していること、右の傾向は雄踏、白洲地区においても全く同様であること(昭和四五年から同五〇年までの年毎、地区別の総生産量及び単位面積当り生産量の変化は原決定別紙カキの生産量経年変化表のうちの(3)及び(4)のとおりである。)ことが一応認められる。もとより、カキ養殖に当る漁民が右のような生産を挙げるについでは、赤潮の被害を避けるため、カキの身入れのための移動時期を遅らせたり、或いはカキの作付連数を多くし、カキ船を高馬力船に取替えたりしてカキの移動時間を短くする等の努力をしているものであることが、《証拠省略》によって一応窺われるけれども、それにしても、右統計の示すところによれば、他に特段の事情が認められず、また昭和五一年度以降において生産量の急激な減少がみられたとの疎明がない以上は、前記窒素、燐化合物等の汚濁負荷の増加が未だカキ養殖事業に重大な打撃とはなっていないものと一応推認せざるをえない。
しかして、本件処理場の排水の放流及び右放流水中に含まれた栄養塩類等の汚濁負荷量が、庄内湾の水質悪化、汚濁度増加に対する影響はさして大きいものとはいえない一方、浄化槽汚水の軽減、湖東団地等の下水道の整備によって庄内湾の水質改善が見込まれることが一応認められることは前記のとおりであるから、前段説示のところに照らし、カキ養殖事業にとって本件処理場の建設、排水がその受忍限度を超え決定的な打撃となる蓋然性のあることについては、その疎明ありといえないと解する。
七 結論
以上説示の諸事情を総合して判断すると、本件全疎明資料によっても、本件処理場の建設ないし排水によって抗告人らが金銭によっては償うことのできないほどの被害を受けること、換言すれば相手方の本件処理場の建設及び排水の計画について、抗告人らの権利を保全するため事前にその差止めを要するほどの違法性の存することを一応にしろ認めるには十分でない。結局抗告人らの被保全権利の疎明がないことに帰する。そして右疎明に代え保証を立てさせることも相当ではない。
よって、抗告人らの本件申立はその余の点を判断するまでもなく失当であるから主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 田中永司 裁判官 宮崎啓一 裁判官 岩井康倶)
<以下省略>